かつては年に100日は山に行くほどの登山好きでしたが、今は街歩きを楽しんでいます。目的を定めずふらりと立ち寄った街で、その街並みを観察。その後は地元のおいしいものを、おいしい地酒とともに堪能します。心がほぐれるひとときです。
あらゆる建築は、建てられた時代の影響を受けています。当時の技術、文化、経済、政治などが詰め込まれた「生きた資料」ともいえます。
矢ヶ崎研究室では、建築の歴史を紐解くことで、現在そして未来に生かせる建築やまちづくりを探究しています。
法隆寺が世界遺産への登録を審議された際に「度重なる手入れで材料や形が変化しており、飛鳥時代からの建築とはいえない」と登録反対の声が上がったそうです。これは石造建築が基となる西洋分化ならではの価値観で、手が加わっていないものをオリジナルと考える歴史があります。しかし紙と木でできた日本建築は、手を入れなければ朽ちてしまうことから、改修を重ね長い時を生き抜くことに価値を見出します。
また、西洋は「建築家」が「作品」として建築物を「完成」させます。一方、日本では明治以前は建築家という職業はなく、名も無き職人が修理を継承する中で増改築がなされるため、建築物は完成(完結)することなく、変化を続けます。ドイツ人の建築家ブルーノ・タウト(1880~1938)が桂離宮に感銘を受けたのは、まさにこの違いに気づいたからではないかと矢ヶ崎教授は推論しています。矢ケ崎研究室では、歴史・文化を理解した上で建築物と向き合い、その再生と創造をめざしています。
矢ヶ崎教授の専門分野のひとつが数寄屋造り。もともと「数寄屋」とは公の身分を忘れ、歌・花・茶といった風流な趣味で集うサロンを意味します。数寄屋は、後に武家の茶道文化を象徴する建築様式の呼称となり、茶室を意味するようになります。
矢ケ崎教授は、現存する古文書や発掘成果などから失われてしまった茶室の復元を手がけています。近年では、奈良市の瑜伽山園地(ゆうがやまえんち)にかつて財界人が所有していた茶室を復元し公開されています。今後、佐賀県や広島県でも復元茶室が公開される予定です。
また全国各地で古建築や伝統的町並みの調査も続けています。そのひとつに、奈良県・吉野エリアでの取り組みがあります。大淀町には、江戸後期から明治初期にかけて作られた地図の町割りが、今もそのまま残されている区画があります。矢ケ崎ゼミでは、学生自身が現地での実測調査などを行い、これらを「歴史遺産」として活かす町づくりをテーマに提言を行っています。
最先端のテクノロジーを使って、これからの建築を創造してゆくには、成功と失敗を繰り返し前進してきた先人に敬意を払うことが重要です。矢ケ崎研究室では、歴史から建築のエッセンスを学び取り、未来に生かせる人材を育てています。
矢ヶ崎教授は文化財保存のための文化審議委員を務めていますが、古いものなら何でも保存するという考えには反対の立場。
大切に囲い込んで保存するよりも使い続けることが保存になる場合も。そのエリアの文化向上の鍵を握るのは、どの建築物を保存し、どれを諦めるかという判断力にかかっています。
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