近年、若い人たちの読む・書く能力が低下していると言われ、言葉の力の不足が懸念されています。そうした現状から、初年次教育として語彙や文法、文章の書き方を再教育する大学も増加しています。
松村特任講師は、言葉を学ぶ意味を見直し、青年期に必要な「ことばの教育」のあり方を研究しています。
言葉は知的な営みをつかさどり、語彙を増やし文法を正しく理解することで知的活動のレベルを高めることができます。
一方で、言葉とは単なる無機質な道具にとどまるものではなく、言葉を投げかけたり受け取ったり、人と人との関係の中で学ばれていくものです。ですから、単に語彙や文法を習得することが言葉の学習なのではなく、他者との対話を通じて人間関係の構築を学んだり、あるいは自己とは何か、自己を取り巻く世界とは何かを認識したりしていくことが、ほんとうの言葉の学びではないか。松村特任講師はこのような観点から、言葉の学習と人間形成のありようを探求しています。なかでも青年期(14歳から21歳)の言葉の教育に関心を持ち、「ことばの教育モデル」を作成しています。
松村特任講師の研究は言語教育でも国語教育だけでもなく、同時に両方に重なる領域の、先鋭的で包括的な研究です。そのため、松村特任講師は自らの研究について、あえて平仮名で「ことばの教育」という表現をしています。
大学における研究はもちろんのこと、学校教育で行われている総合学習、総合的な探求の学習でも生徒自らが問いを立て、探求を進める学習が進められていますが、生徒がぶつかる大きな壁がこの「問いを立てる」ことだとか。問いを立てるためには、自分の欠落に気づく必要があります。ただこの自分は何を知っていて、何を知らないのかを自らが自覚することは、ソクラテスの「不知の自覚(無知の知)」でもあり、「問いを立てる」ということは非常に難しい行為なのです。
問いを立てる力は、研究や仕事など社会人になってからも必要な力です。松村特任講師は、「ことばの教育」を語彙や文法の習得や書く技術の伝授で完結させるのではなく、学生が他者と対話し、外の世界と出会い、自らの欠落に気づいて、学生の問いを立てる力を引き出すことへとつなげていく必要があると考えています。そのように他者や外の世界と関わりを持つことで、自己への理解や世界認識が深まる可能性があるのです。
もう一つのカギは「自分の問いに対し、自身の答えを出す」ということです。中でも松村特任講師が重視しているのが論証のプロセス。イギリスの科学哲学者であるスティーブン・トゥールミンが打ち立てた論証モデルを応用しながら、自身の答えを出すまでのプロセスを具体化しています。
さらに、答えは自分一人で見出すだけでなく、人と人との関係の中で試行錯誤しながら見つけることも重要です。人の手を借りることで、自分の答えが不十分であることに気づいたり、そもそも問い自体が間違っていることに気づいたりすることもできます。
松村特任講師は、ひとつの問いに対し、行ったり来たりしながら徐々に自分の論証を固めていく経験を重要視。「ことばの教育」モデルも、中学、高校、大学と長い時間をかけて論証や探求のプロセスを何度も体験し深めていくことが想定されています。
この「問いを立てる力」「論証の力を高める」ための指導として松村特任講師が注力しているのは、表現への意欲を引き出すことです。学生が自分の問いや主張に気づきやすい題材を使ってトレーニングしたり、また、学生の提出したレポートには必ずコメントを返したりしているのも、そのためです。問いを立てて、外に向かって表現したことを、きちんと受け止めてもらえる経験が、次の学びへの意欲を高めると考えられるからです。
「ことばの教育」が十分になされた未来には、争ったり誹謗中傷をし合ったりするのではなく、よりよい結論を求めて協力し合いながら社会をつくっていける人が育つことが期待できます。また、今後さらに先端技術によるイノベーションが起きる現代には、その技術が持つ意味や価値を考え真の意味で使いこなす人が求められていくはず。
「ことばの教育」は、理系・文系を問わずこれからの社会を生きる人に必要な学びと言えるかもしれません。
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